Time flies

社会人3年目の記録

ハードボイルドグルメレポートを見て

今回の放送はアメリカ、ロサンゼルスにある街の紹介。

 

メキシコ系ギャングと黒人系ギャングのエリウアが隣接する非常に危ない街である。3kmしか離れておらず、1週間に1人は死亡するという危険度MAXの街。

この街でグルメレポートをする番組である。

相変わらずTV Tokyoはクレイジーな企画をする放送局である。

 

印象的だったのは黒人系ギャングのバウワウに同行して、彼の元妻の家を訪れた時の話。バウワウは人生の半分を刑務所で過ごしており、奥さんから愛想をつかされて別居していた。子供が三人おり、今日は彼らに会いに来た。普段は入れてくれないとのことであるが、今回は特別に入れてもらうことができた。

 

しかし入室しても奥さんは出てこない。

ここ半年間会話も食事もしていないそうだ。

その証拠に、途中で奥さんが出て来たものの、バウワウの食事だけは作らずに放置。

 

「色々あったのよ」

という奥さん。しょんぼりする旦那。

 

そもそも夫がギャングであるというシチュエーションが温室育ちの自分にはわからないため刺激的。

 

番組スタッフや通訳者、ドライバーにはご飯のおすそ分けをする奥さん。

 

見るからに首をもたげる様子のバウワウ。

 

すると、奥さんが「今日は本当に特別よ」と。

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スプーンで一口をもらったバウワウはこの一言。

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昔は自分がよく作っていたというバウワウ。

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これに対する返しが強烈だった。

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追撃するような娘の発言

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身近にいるけれど、手料理を食べられないだけでこんなにも距離を感じることになるとは思わなかった。今回番組クルーが行ったことで、飯を介して、夫婦間の距離が少し縮まったようである。

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「食べる=生きる」という当番組のテーマがぴったりはまる締めとなった。

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この番組を見て、「飯」とは万人共通の行為であり、どんな立場にいたとしてもコミュニケーションとしての役割を果たしていることを感じた。後半部分で具体的に触れたところでいうと、「手料理」が一度別れた夫婦のコミュニケーションに繋がった。今回はギャングの「飯」という切り口の回であったが、今後とも見る機会があれば見たいと思った。「飯」を通じて、別の世界に住む、違った人たちの生き様が垣間見れる気がしたからだ。

美人税、夢みる機械を見て

昨日久しぶりに世にも奇妙な物語を見た。結構昔は見てたので最近はどうなんだろうと興味深かった。以下2作品について見たので、概要と感想を書いてみる。

・美人税(ネタバレあり)

美人はその容姿で社会的、経済的に得をしているということで、税を課すというもの。

主人公の佐々木希は美人税20%という芸能人ランクの税をかけられた。初めの方は不満に思う佐々木であったが、次第に美人税を自身の美しさの証拠だと思いステータスに思い始める。

しばらくした時、母が倒れたという知らせを受ける。残された遺書には、すべての資産を佐々木に継がせる、との内容があった。
しかし、母も佐々木も相当ランクの美人であるため、税引き後の資産はむしろ赤字になってしまう、という。

そんな時出会ったホスト風の男から、不美人グッズを勧められる。それを活用した結果、美人税を免れた佐々木。そのうえ、その男から両親にあってほしいと結婚まで匂わせられ…と順風満帆な佐々木だった。

相手の両親と会う日にちが近づいてきたある朝、ピンポンが鳴って出たところ、そこには税務署が。美人税脱税のため逮捕されてしまった。
ホスト風の男は脱税指南かつ結婚詐欺で有名な男だったのだ。それから留置所にいれられ…(この辺はトイレ行ってて見てなかった)

なんとか留置所を出たらしい(?)佐々木は、見た目だけでなく中身も美しくなろうと決意する。

佐々木は公園を散歩していたところ、アイスを落として泣いてしまった少女を見つけた。その子のためにアイスを買いに売店に行くと、後ろの男子小学生から「ブス!早くしろよ!」との声がする。

女の子に向けられた声だと思い、「女の子にそんなこと言っちゃダメでしょ」と諭す佐々木であったが、それは佐々木本人に向けられた言葉だった。

レジ横についた美人チェッカーでは、「No bijin!」の判定。慌てる佐々木。売店のTVCMではキンタロー似の女性が化粧品のCMに出ている。それを見て、「美人だな〜」という男たち。「なんで〜」という佐々木。

平安時代から現代にかけて、美人の定義が変わってきているという解説のニュース番組に画面が切り替わって、話は終わる。

というもの。

題材としては面白いと思った。結局のところ、国が税を課す目的=税収アップ、だから、本当の美人にだけ美人税を課してもパイが少ない。

だから、時代の流れということで、美人の定義を捻じ曲げて大多数の国民を課税対象にしちゃった、って話。

不美人グッズなどのあたりは、今でいうと果樹園とかなのかな?比喩に富ませることでこの作品の面白さはもっと増すと思った。

夢みる機械

窪田正孝が主演。工場でバイトをしつつ漫画家を目指す窪田、それを支える社会人の彼女(この子可愛かった)。

編集部を訪れた後に彼女の部屋を訪問、そこで話をしている中、ふと彼女のカバンの中に「UTOPIA財団」とバクのマークが描かれた封書があることに気がつく。それを聞くと、なんでもないと答える彼女。

窪田は家に帰ると「母さんはパートに行っている。飯はチンして食べろ。」と父から告げられる。

部屋に戻って漫画を描いていると、母親が部屋に入ってきた。「まだこんなもの書いてるの!」と咎める母に対して、反発する窪田。そのいざこざで母を押し倒してしまったところ、「ギーギー」と機械音が母からする。

そして、母の腕が外れてしまう…その腕には「UTOPIA」という刻印があった。

その後、昨日1日と同じシーンが繰り返される。工場長の声も、編集部の人のセリフも、家に帰っても、「母さんはパートに行っている。飯はチンして食べろ。」と父親が言うだけ。

同じ毎日がリピートされることに、もしかしたら周りの人が全員ロボットなのではないかと窪田は疑問を抱き始める。

ある日家に帰ると、作業服を着た男が家から出てきた。中に入ると、母親が復活している。怪しいと思った窪田は家を飛び出る。

先ほどの作業員が車に乗って去るところだった。その車には「UTOPIA」のマークがあった。

彼女のカバンの中に同社の資料があったことを思い出し、彼女宅に向かう窪田。最近のことを話し始めると、「それのどこが悪いの?人間でもロボットでもそれで社会が回るならいいじゃない?」と彼女。

混乱した窪田は彼女を押し倒す。すると、なんと彼女もロボットだったのだ。

その後(この辺もトイレ行ってた)、UTOPIA財団の本部に足を踏み入れた窪田。地下にはカプセルが陳列されており、その中には窪田の父親と母親もいた。

そこで入口から窪田を案内した女から、UTOPIA財団の秘密が暴露される。人間は誰しも夢を持っている。

しかし、その夢を叶えられないのが大多数である。だったら、本人には夢を見させて、現実社会には代替のロボットを送り込めばいいじゃないか、という思想だ。

UTOPIA財団のマークにあるバクが灰色の現実を食べ、本人にはUTOPIA(=理想郷)を体験してもらおうというものだ。

その後UTOPIA財団の創設者(白ひげの如何にもって感じの男)が現れ、君も体験してみてはどうだ?と諭す。

それに反発する窪田、しかし反抗もあえなく…といったところだったが、彼女が現れて「やめて!」と叫ぶ。

そこから2人抜け出して、彼女と暮らし始め、漫画も掲載が決まり…と順風満帆な生活。

というところだったが、「どう?これがUTOPIAの世界よ?」と彼女。

ここで窪田が目をさます。すべてUTOPIAの夢だったのだ。

それでもUTOPIAを否定する窪田。白ひげや受付の女とドンパチやって、結果的にみんなロボットだったとわかる。

UTOPIAの機械を金属バットで壊す。後ろを振り向くと、「なんで起こしたんだ」と窪田の父親や母親がこちらを見ている。

怖くなった窪田は急いで外を目指す。しかし、外の世界に出た窪田が目の当たりにしたものは…

という話だった。

管理社会、ロボット化、人間の欲といったディストピア作品だった。

「夢オチ」か「実は自分がロボットだったオチ」かと予想していたけど少し外れた。このテーマは語ることが多すぎて、30分にまとめるの大変だろうなと思った。

タイトルが「夢みる機械」だったから、ロボットが夢を見るようになって管理社会がうまくいかない、的なエピソードかと思いきや違った。夢をみる(ための)機械って意味合いだったか。

世にも奇妙な物語は、記憶、体験、ロボット系のテーマの作品が多いと思った。昔見た中で好きだったのは「記憶リセット」かな。切ないエピソード。

以上!

ウェブとリアルの狭間〜集客のデザインと楽しさ〜

今日は先日のイベントの反省会に参加した。

そのイベントというのは自社の所有するショールームで商品販売を行うものだった。駐車場に大きなテントを張り、その下に販売機器を陳列してお客さまに買ってもらうというものだ。

このイベントの主な集客として、機器の経年先(買い替え時期)のお客さまへチラシを同梱したダイレクトメールを打っていた。その他には、営業マンが手渡しでお客さまに渡した。実際にはイベント当日に通りがかったたけのお客さまもフリーで入ってもらった。

反省会の資料には、「DM配布数、来客数、成約数」「手渡しDM数、来客数、成約数」など誘引別に入口と出口のデータがまとまっており、それを元にした議論が行われた。ワクワクしながら考えることができた。

そんな時、ふと思った。これって自分が学生時代にやっていたウェブマーケティングに似ている、と。

ウェブマーケティングではネット上の集客をできる。

まず、どの流入元から来たのかがわかる。例えば、Twitterのバナー広告をクリックしてきた人なのか、それともGoogleの検索窓でワードを打ち込んで記事タイトルをクリックしてくれた人なのか。

そして、その上でどのページから見たのか、その後どの別のページに行ったのか、そして何を買ったのか、申し込んだのか、など調べることができる。

それを元に、広告文の改善、バナー画像の差し替え、ページ内容の書き換え、リンク先ページの変更、などを行って、ゴール地点(購入やお申込みなど)に到達するお客さまの最大化を図った。

もちろん今回のイベントのように、リアルの販売ではここまで細かく追うことはできない。が、改善することができる部分は多い。

DMを配る先は?枚数は?チラシの内容は?

エントランスの飾りつけは?ショールームの動線は?商品の配置は?実演販売は?抽選会の商品は?

などなど様々な変数がある。

毎回のイベントごとに、予測、実施、反省を繰り返して、この変数から出力される成果を最大化していく。

これはまさに自分が心躍る仕事じゃないか、そんなことを思えた素敵な反省会だった。

「筋トレする人は仕事ができる人が多い」説への是非

最近、仕事帰りに最寄りのスポーツジムに通っている。初めは軽い気持ちだったが、日課のようになったのでついこの前月額会員になった。

ここにはいろんな人がいる。
丸太のような二の腕をして100kg超のバーベルを持ち上げるガイル(※ストツー参照)のような人。
ショーパンを履いてドキッとするような格好でランニングマシンを走るお姉さん。
健康維持のために筋トレをするおじいさんまで様々だ。

そんなことは余談なのだが、今回は、ビジネスの記事でもよく見る、「外資系金融マン出社前に早朝ジムでトレーニング」「筋トレ好きが仕事ができる理由」(タイトルうろ覚え)について少し考えたので公開したいと思う。

ある物理学者が「仕事=J(熱量)」と置いたことは何かを示唆しているのではないか、とか色々と初めの有酸素運動のマシンを漕ぎながら考えた。以下のトピックに分けて書いていきたい。

1.筋トレと仕事の共通点
2.筋トレと仕事の相違点
3.結論と心意気

1.筋トレと仕事の共通点
まずは共通点という話だが、これは5つほど思いついた。筋トレ→仕事の順で書いていく。

①どちらも一気に進化することはできない、ということ
筋トレ:一気に重いものは持ち上げられない(=少しづつ重いバーベルを持ち上げられるようにる)
仕事:一気に大きな仕事はできない(=少しづつ大きな仕事を回せるようになる)

②どちらもサボることができる、ということ
筋トレ:見た目だけトレーニングしているように見せられる(肩の筋肉のトレーニングなのに、腕の筋肉を使って上げるなど)
仕事:なんとなく体裁は完成させたように見せること(先輩の資料を丸パクリして、数値と色だけいじって提出、など)

③何にも代えがたい達成感を得られる、ということ
筋トレ:いじめ抜いたあとのパンプアップした体を見る瞬間
仕事:長かった案件を無事に成し遂げた時の達成感

④バランスが大事だということ
筋トレ:「腕の筋肉だけ!」ではなく、肩や胸、背中の筋肉も満遍なく鍛えることで無理のないトレーニングができること
仕事:「PC能力だけ!」ではなく、コミュニケーション力、商品知識、など満遍なく習得することで仕事ができるということ

⑤伸びているときは辛い時だということ
筋トレ:「もう腕が上がらない…」という時に、あと3回できるかどうか、で筋細胞が発達するかどうかが分かれること
仕事:「もう頭が回らない…」という時に、もう一踏ん張りできるかどうかで、仕事の力がつくかどうかが分かれること

以上5点が筋トレと仕事の共通点。

2.筋トレと仕事の相違点
続いて、筋トレと仕事の違いについて書いていく。

結論から言うと、
筋トレ→自分にだけ返る
仕事→周りの人に返すことができる
ということだ。

筋肉は基本的に自分だけのものであるが、仕事の成果は周りの人と共有することができる。この違いは大きい。

3.結論と心意気

結論から言うと、筋トレする心意気で仕事もやっていこう、というもの。最近自分自身だらけてしまっていると思う。とはいえ、オーバートレーニングにはならない程度にね。

本来であればここらで筋トレのビフォーアフターを載せると、説得力があるのかもしれないが、まだまだ微力なので続報に期待したい。今日もささみを食べて寝ます。

地獄のDNA鑑定とゲーム理論が浮き彫りにする事実

最近は仕事が立て込んでいて、家に帰るのが遅かった。久しぶりに早く帰れたのでテレビを見ていると、興味深い番組が流れていた。

その番組ではブラジルのユニークなTV番組を紹介していた。

依頼者によるDNA鑑定を放映するというものだ。男女間にできた子供の親が本当にその男か女かを調べるものである。

ブラジルの女はキレるとハイヒールをすぐ投げることや、そもそもこの番組が放映される自由さに驚きを感じたが、今回の焦点はそこではない。

ルールはいたってシンプルだ。
「自分の子供ではないと思っている男vsその男の子供であると思っている女」
の構図である。

勝負の場合分けと結果は以下である。

・男が依頼した時(女が浮気したと疑う)
男の子供だと判明→女に素直に養育費を払う
男の子供ではないと判明→女に払っていた養育費を取り戻せる

・女が依頼した時(男の子供であると疑う)
男の子供だと判明→女は養育費もらえる
男の子供ではないと判明→女は養育費をもらえない

番組自体はこのシンプルなルールに、両者の肉弾戦が目玉であるが、ここで半カードという選択肢を加えると少し奇妙なことになる、と湯船に浸かりながら思った。

半カードのルールを加える。

半カード…男も女も受諾した場合に、養育費が半分払われると決定されるもの。出す権利はどちらにもあるが、両者の合意が必要。DNA鑑定は行われない。

さて、これも場合分けして考えていこうと思う。

男が依頼した時→半カードは成立しない

男は完全に違うと信じているから依頼するわけで、半カードを使う選択肢はない。つまり成立しない。そもそも少しでも自分の子でない可能性があるならば、この番組に出ない。

女が依頼→半カードありうる
男が半信半疑の場合に出す(もしかしたらおれの子かもなあ…くらい)可能性がある。大事なのが、ここで女性が受け入れる場合だ。
基本的に女が依頼しているということは、その男の子供であると信じているわけだ。しかし、一寸でも疑いがある場合(もしかしたらあの夜ヤッた男かも…など)、このカードを受け入れるケースがある。その場合、女は半分の養育費を確実に手に入れることができる。この場合は男も女も共犯者といえる。

以上より、半カードが成立する時点で、両者ともに浮気をしたことがあると宣言したのと同義であるということ、が言える。

囚人のジレンマとはちょっと違ったゲーム理論が成り立つ。
強気で攻めるか、半分で落ち着かせるか、その合理的な判断が隠された事実を浮き彫りにする。

ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って

 

スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)

 

 

盲腸の事後血液検査で有給休暇をもらった日。
池澤夏樹著の「スティル・ライフ」に手を伸ばした。父からもらった本で昔読んだことのある小説だ。

・あらすじ

ぼくの一人称で描かれる物語。染色工場のアルバイトで出会った佐々井というちょっと変わった男。

仕事のミスをかばってくれたお礼にと、その夜に佐々井をバーに誘い2人で飲んだ。

グラスの水をじっと見つめる佐々井。
「何を見ている?」
「ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って」
どこか浮世離れした感性を持っている佐々井にぼくは惹かれていき…

・感想

星座の話、天気の話、科学的な話をとりとめのないように扱う2人の会話は小気味よい。

ぼくも数人そういう感覚になれる友達がいる。お互い気を遣うわけでもないが、自然と「合う」関係性だ。

この本を読むとそんな感覚に身を寄せることができる。この本が青春小説といわれる所以か。

面白かった一節として、公金横領を過去にしたという佐々井がつぶやいた場面だ。

「業務上横領の犯人が捕まったという記事を新聞で見るたびにぼくは笑った。彼らは決まって金を使い果たして、懐中わずか数千円というようなみじめな状態で逮捕されている。まるで、早く使って早く捕まった者が勝ちというゲームのようだ。だから、キャバレーで金を撒くような真似をする」
「なぜだろう?」
「わからない。横領したとたんに金というものの汚染力に気付いて、始末しなくてはいけないという強迫観念に取りつかれるのかもしれない。自由になろうと思って盗んだのに、いよいよ不自由になっている自分に気付く。金が重荷になる。駆け落ちした翌日にもう後悔している恋人たちみたいにね。でも、本当のところはわさらないな。」

なんかわかる気がする。
自由になりたいと思って、仮病で休んだけれど、なぜかもやもやした気持ちで早く1日が過ぎ去らないかと、せっかく手に入れた休日を不意にしてしまう、そんな感覚に近い。

というように感想を書いてみたけれど、この本の魅力を表現するのは難しい。たった89ページの青春小説なので、ぜひ手にとって読んでみてほしい。

「詐欺の帝王」を読んで

 

詐欺の帝王 (文春新書)

詐欺の帝王 (文春新書)

 

 

◇はじめに
◇あらすじ
◇興味深かったこと
◇本藤の強み
◇詐欺がなくならない2つの理由
◇詐欺師は現代の鼠小僧か?
◇感想

◇はじめに

システム詐欺(ヤミ金オレオレ詐欺など)の帝王と言われた本藤の軌跡を追うルポ。

暴力団関係の書籍で著名な溝口敦さんが書いた本。

大前提として、当書は詐欺を肯定しているものではない。

詐欺を取り巻くグループ、手口、警察との駆け引きなどをベースに、本藤がいかにのし上がったかという、帝王学的側面が強い本である。

◇あらすじ

大学に入学した本藤は、独特の大人びた世界観もあって、イベサーの年長者との付き合いが多くなる。

本藤はイベントの開催を通じて、興行者としての才能を開花させていく。
その経験はお金を引っ張るコツ、組織をコントロールするノウハウ、そして暴力団も含めた濃い人間関係を本藤にもたらした。

卒業後は大手広告代理店(おそらくD通)に入社するも、スーフリ事件の飛び火を被ってグループ会社へ左遷される。

広告会社で一花咲かせることを夢見ていた本藤は失望し退職。
その後、学生時代のつながりからシステム詐欺の道へと足を踏み入れていく…

◇興味深かったこと

・本藤は暴力団でもカタギ(一般人)でもなく、半グレと言われる狭間で暗躍することを好んだこと。

リスク管理の考え、組織を守る部分で知恵が働く部分

・詐欺の基本は「かぶせ」

※同じ被害者を狙って何度も詐欺を仕掛けること。1度引っかかった被害者は、2度目、3度目も引っかかりやすい。

ダニエル・カーネマンプロスペクト理論の適用など学術的側面もあったこと。

プロスペクト理論…人は損を諦めて、損切りすれば、新たな損を被らずに済むのに、損を回復してプラスマイナスゼロにしたい欲求が強いという理論

・ただでは転ばない、ということ

税務署に追徴を受け、国内に現金を置いておくことを避けようとした結果、マネーロンダリングを考えた本藤。

ドバイに視察に行った際、イラクディナール札(イラク戦争により価値暴落)が使われていることに気がついた。

戦争終了後、価値が爆上がりする、というネタで使えるのでは?と考案したこと。

◇本藤の強み

人間関係構築力…表社会、裏社会に限らず顔のきく存在になっていたこと
×
ハッタリ、自信…暴力団相手にもうろたえず、むしろ食うような姿勢で臨んだこと
×
人心掌握術…側近のもの、末端のもの、組織に属する者の行動管理術

◇詐欺がなくならない2つの理由

2点挙げられている。

1.「儲けたい」「勝ちたい」「隠したい」という欲求

「儲けたい」という欲求には未公開株詐欺や社債詐欺が、「勝ちたい」という欲求にはパチンコ必勝法詐欺など、「隠したい」という欲求にはアダルトサイト等の架空請求詐欺がある。

…つまり、欲望がなくならない限り詐欺はなくならない、と本藤は締めている

2.日本人にマネー教育がなされていない…
日本人は子供の頃からお金の教育を受けていないから。

医者や弁護士といった知的階級の人でさえ、為替とは何か、株券とは何か、を具体的な形で知らない人が多い。

そのため正常に判断をすることができない。

◇詐欺師は現代の鼠小僧か?

興味深い一文があった

「年寄りが持っている使わない金は死に金だ。おれたち若者が使うことで経済を回して富の再分配をしている。」

果たして本当にそうだろうか?

この答えは終章に書かれていた。

「しかしシステム詐欺の盛行により、詐欺師たちが主張するように、国民所得の再分配が行われたかといえば、そうでないと否定せざるを得ない。このことは巨富を握る事業家がシステム詐欺に巨額を詐取されたという話を聞かないことに明らかだろう。(中略)つまりシステム詐欺は大金持ちのカネに一指も触れられず、日本の資産構造は微動だにしていない。おそらく富商から奪ったカネを貧者に投げ、江戸期に義賊とされた鼠小僧も同じことだったはずだ。盗みや詐欺で構造的な変化をもたらすことはできない。」

結局のところ、詐欺師たちが自分の行動を正当化するための戯言にすぎないのだ。

◇感想

大半は本藤のスケールしていく道程についてだったが、詐欺が行われれる背景や共生者(弁護士や探偵、ex)過払い金申請)など話が膨らんだ。

家族の核家族化、孤立化が老人への詐欺を容易くしているということや、正社員になるのが難しく、こうした闇の世界に足を踏み入れる若者も少なくない、といったことなど、社会に問題を投げかける一冊だった。